“無理の出来ない人だから

よくゝ自分を見て過ごしていると思います。”

 

 

 

 それが、私の祖母の最後の手紙の一文。
 勝手に死んでしまって、あの人の本当の死因を知ったのがつい二ヶ月くらい前。どこまでも、私に全部隠してもっていってしまった。怒っているけど、憎んではいない。
 そもそもこの手紙だって引越しをした時に契約書やらなにやらの書類の束の中に大切にしまいすぎていて綺麗さっぱり記憶から抜け落ちていたのだし、本当に困ったモノ。
 なんでもかんでも運命や偶然に重ねるのは失礼だけれども、私の肌が白いことを祖母は昔から褒めてくれていた。自分の肌が生まれつき浅黒いことを、やけに気にしていたから。そんなことを祖母のすぐ上の姉から言われたら、うちのやたらと世話焼きな黒猫の背中にもう一人くらい隠れてるんじゃあないかと考えてしまうこともなきにしもあらず。

 そんなこんなで順調に秋を過ごしております。相変わらず鬱と節々の痛みが酷い。
 この季節は皮膚もボロボロになるし、1日5杯の珈琲とサプリメントとキレートレモンで身体を動かしている。たまに美味しいごはんを食べる。それは美味しいモノ。

 無理ができないくせに無理を抱えるというのがどうも祖母譲りだと自負している。動かない身体で「無茶だからやめろ」って言われて、それでも辞めない。
 それは諦めが悪いとかしぶといとかではなくて、「他人にヒトの事を決められて溜まるかよ」っていう感情なのだと思う。なお、私の場合、そのあとにもう一言「クソが」って付く。
 負けず嫌いと違うのは、興味が無いことについてはあっさりと放り出すというところ。興味の振れ幅が激しいともいう。
 いずれにせよ、やるもやらないもできないもできるもやってみてから決めるというか、やりながら決めて何が悪いと思っているよ。

 そういう訳だから、常に動いている。動けない時以外は何処かを動かすようにしている。頭なり指なり足なり。身体が動いていない時はたいてい頭が回っていて、死にたいとか死にたくないとか責任の所在を探している。乱暴な言葉を振りかざしていれば強くなるの?

 手掌多汗症というやつで、自律神経が狂ってやがる。そういう日は針が持てない。
 それなのに無理して持とうとするから、右の人差し指の先っぽにタコが出来た。

 あのひとが作った財布は無くしてしまった。柔らかい生地で、丸い形で、メロンパンの様な模様の入った丸い財布。金属部分は金色で、ジッパーの取っては丸かった。
 薄紫の財布、小銭入れだったと思う。さらさらとした柔らかい布。ちょっと緑とか、ピンクとか。
 嗚呼、今でも、ありありと思い出せるのだけれど、ここにないのね。

 あの日だまりにおばあちゃんはいて、「これ、おばあちゃんが作ったの?」って聞くと頷いていた。
 鼻にチューブ付けて、在宅で酸素を必要としていた。目頭に黄疸が出来ていた。変なメイクなのかと思う、くっきりとした、コンシーラーみたいな、黄色。

 クロちゃんのブランケット、パッチワークで作っている。四月くらいから。今日からやっと、パッチワークに入ってる。
 別に特に理由は無くて、古着をリサイクルしたいっていうだけの動機。あと、頭が動きたがらない時に指を動かせるような状況を作りたかっただけ。

 あの財布、「落としキルト」って縫い方だったんだ、たぶん、って今日知る。多分。
 たぶん、もう少し試行錯誤するけど、あのお財布をもう一度作れるかもしれない。面影だけ残した別物になるだろうけど。

 ああ、でも、できるかできないかなんて、やってみてから考えればいいこと。
 やっていくうちにわかるかもしれないこと。

 二足の草鞋、三足の草鞋、っていうけれど、人間の足は二本しかないけれど、だいたい無理をして同時に履く必要はないのじゃないかしら。
 というか、普通に考えて、二足の草鞋を同時に履いたら歩きにくくて転んで当たり前なのでは?
 草鞋は一足ずつ履けばいい。残りは靴箱にでもいれておいて、履き替えていけばいいというか、そもそも靴は色々履き替えていくモノだろ? TPOとかなんとかって言ってさ。

 無理ができないからさ、転ばないように、なるべく自分と体調に合った草鞋を履くようにするよ。
 私は器用では無いから靴箱はぐちゃぐちゃかもしれないけれど、まあ、その辺は、そのうちなんとかなるんじゃないかなあ。たぶん。

 風邪っぽいから寝るね。

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