日中に外出する事ができない種とその言い分

理解は求めない。

 

 

 

 

私はとても親切だから予め前置きをしておいてあげる。
この日記は誰かを侮辱したり攻撃したり貶めたり蔑んだりするものじゃない。そういう意図は特に無い。
だけれども題名からわかるように全ては私の言い分であり、それに対して反対意見を持っている人間にあてての苦情みたいな言い回しもあるだろう。それは表現の自由とかいうやつで大目にみてくれ。スルーできないなら最初から読まない方が良い。結論は「私は日中に外出したくない」でしかない。
はい、私は忠告した。

結論から言う。
日中に外出することが嫌だ。できない。無理。非常に苦痛で仕方が無い。
誰かと食事をしよう・遊びにいこうという話なら、頑張る事ができる。

何故頑張るのかを考えてみる。
24時間をぶつ切りにしてみると、0時~6時は移動が困難だし生活リズム的に眠いから行動がしにくい。店も選べない。深夜料金は高い。
6時~12時は移動ができても店がやっていない。特にカラオケとか深夜営業をしている店は5時に閉店して11時オープンとかで具合が悪い。
12時~18時が飯屋も行き先も選びやすい時間帯で、18時~24時は少し飯の価格が変わってきたり、商店街なら早々に閉店が始まってきたりする時間だ。
だから結局誰かと会う予定を考えると12時~18時が一番行動しやすい。酒を飲む以外には、恐らく。

でも、その12時~18時という時間帯はお日様が上がっている時間帯だ。
だから昼行性の人間が活発になるんだろ、とは思う。それはどうにもならない。猿人類より前の段階のヤツと膝を合わせて話をしなければならなくなるレベルでどうしようもないから諦める。
だから大人しく文句など言わずに外出する。会う人は悪くない。そして飯屋も悪くない。
夜間料金では私の財布が真っ先に悲鳴を上げるからだ。人間だろうと狸だろうとなんだろうと、無い袖は振れないし、わざわざ振らんでもいい。
日中に外出する事を我慢するだけで全ては穏便に済む。

ただし、問題は、私がひとりで何処かに行くという状況である。
スーパーのタイムセールを除いたら本当に日中に外出する事が苦痛で仕方が無い。

この「苦痛」というのがどうにも説明し難くて、此処最近はずっと唸っている。
例えばダイエットだのウォーキングだのをやるとなると朝や昼の方が体温が上がりやすいという理由でおすすめらしい。
さらに、肉体的女性が夜にウォーキングだの買い物だのとて彷徨くのは如何せん危険である。まあわかる。
その為に、世界中の人々は朝に起きて夜に眠る生活サイクルを健康だと見なし、それを勧めてくる。
それは恐らく善意か、彼らの中の常識か、偏見か、正義だと思う。

私としては、朝に起きて夜に眠る生活サイクルに関しては異論はない。実際に私も極力25時には眠るようにしている。
朝に運動をすると日中の調子が良いというのも本当だと思う。先日、寝起きでヨガをやったら恐ろしいほどに日中の仕事の効率が良くなってしまって、昼前にはやることがない(やりたいことがない)状態に陥った。
基本的に通院も日中に行う必要がある為、所謂「昼夜逆転」はしないようにしている。

でも、外出だけはダメだ。

スーパーのタイムセールはどうでもいい。通院も仕方が無い。医者も人間だからだ。手元が狂われては困るし、夜間料金を乗せられても困る。
だから妥協はするけれども、それ以外の、それこそ「健康的な生活」とか、必要なのか代用が利くのか微妙なラインの事を昼間にしたくない。
例えばコンビニでコピーしてくるとか、外に散歩に行くとか、DVDを返してくるとか、郵便物を出しにいくとか、そういうどんな時間帯でも別に構わないものは、日中にやりたくない。

はっきりと言えば、太陽光が嫌いだ。
紫外線も嫌いだ。だけど雨の日も曇りの日も雪の日も、やっぱり昼間に外に出たくない。

どうしてなのかをかんがえた。

今、考え得る一番の理由は、明るいからだ。
結局太陽の所為だが、私の所為でもある。

明るいと、目に入る情報が多すぎる。
須藤さんの名前の表札、錆びた鉄線、擦れ違う人間の顔、くたびれた花、街路樹の色と木漏れ日のコントラスト、空の色、雲の形、特売日の看板、本日のランチ、今日のおすすめ、看板、道の乾き具合、雨上がり、水たまりにいる虫、不機嫌そうに駅に向かう人間、擦れ違った人の服、最近流行のファッション、今日は売っていない猫草、コンビニの広告、鞄の色、可愛い服、人の顔、開けっ放しの窓、田中さんちの使われていないテラス、昼からバラックで酒を飲む人、政治家の顔、ポスター、政党の名前、町内会の看板とイベントの内容、工事の期間と責任者の名前、マンホールの数

それが視覚情報として強制的に押しつけられるから、頭が狂いそうになる。

それが全部、目から頭に入ってくる。何かに気を取られてしまうと別の事ができなくなる。すると何も無い所で転んだりする。ずっと考え続けたりする。
「どくだみ」を掛け言葉にした和歌が、どうしても思い出せない。それがつらい。思い出せない。
笑顔の政治家の名前が知人と似ている。あいつ今どういうことしているんだろう。死んだんだっけ?
新宿のガード下のサイゼの看板は何故かやたらと格好良く見える。多分ビルのコンセプトや別のテナントとのデザインの関係。
あの数字の配列、私の誕生日と同じ。55カレー。5月5日。GOGOカレー。ようするに言葉遊び。嗚呼、GO!GO!7188を聞きたい。

それは全部太陽かその光の乱反射で明るみにされていて、それは雨の日も同じ。曇りの日も同じ。それが一番つらくて苦しい。
全部五月蠅い。でも綺麗。でも鬱陶しい。だけど好き。でも苦しい。それなのに見たい。
そういう矛盾を抱えているととてもつらい。外に出ることがとてもつらい。

夜は隠してくれる。宵闇がという理由だけじゃない。
点々とある街頭が、私を助けてくれる。
私の目は虫みたいに、より明るいものに引かれていくみたい。
それから、光る表札が無いこと。「山田」という表札は、光らない。だから私はその表札になんて名字が書いてあるのかを知らないで、ただ表札の上か下あたりにあるランプを一瞥して「さっきのよりもオレンジがかっている」と思う。それは、とても、楽なこと。表札は、情報の塊だから。

つかれた。
文字を書けない。疲れた。

ここ二、三日は、ずっと死にたい。
クロちゃんは空気を読めるタイプの猫ではないから。
文章をかけないことがつらい。

昼間に予定をこなせる人には理解できないだろうし、もしかしたら「そんなこと気にしないでいい」とか「無視でいい」とか思われるのかな。
私の脳味噌はそういう処理が苦手。無意識なのか反射なのかは知らない。「考えない」という機能を落としてしまった。だから常に上書きをしつづけるしかない。
理解してもらおうとは思わない。
いつだって強行採決。いつだって損する側がいるから議論が成り立つ。期待するだけ無駄。
私は外に出たくない。五月蠅いから。ごがつはもうおわってしまったのに。

この間、真夜中の誰も居ない住宅街で、マンホールの音を聞いた。
大きな音と小さな音、全く聞こえない静まった一軒家と、対照的なマンション。まばらな蛍光灯の光が漏れて、私の足下には水路が迷路のように広がっていて、そこで飛沫を上げながら反響している汚れた水の生む音が、とてもとても、きれいだったの。

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