反省文

母方の実家、ようするに祖父の家について、「おとな」というひとたちがもう諦めているのが納得できない。
祖父が私に「自分の介護をしてほしい」っていってくれているのに応えられない病気を持っているのが悔しい。
「あいつ(伯父。当主)のことはもう諦めなさい」っていって、みんな諦めてるのが気色悪い。
伯父は伯父で、そんな状態に胡座かいてる。引き摺りおろして殴りつけたい。怒鳴りつけたい。
何が「あいつは変わった」だ。どこが「あいつも頑張ってる」だ。
何も変わってない。何も変わってない。何も変わってない。何も変わってない。

私も何も変わってない。何もできないでまた指くわえてみてる。おかしいって思ってるのに、誰もなにも言わない。賛成もしない。消極的な反対だけする。そういう諦観で全部無難にスルーしようとしてる。それが穏便だって、それが平和だって思ってる。それがおかしい。それが許せない。それは、もう祖父ひとりしかいないからって、不特定多数の為に、それは、人身御供と何が変わらない?全く同じじゃな無い。待った得同じじゃない。全く同じ。

おじいちゃんなのに。
私のおじいちゃんなのに。ひとりしかいないおじいちゃんなのに。

「大人になりなさい」は、トカゲがしっぽを切れるようになることなの?

おじいちゃんとおばあちゃんのどっちかひとりだけ救いなさいっていうなら、大切なものをどっちかひとつだけしか選べないなら、両方助ける方法を探すのに決まってる。それができないときに、両方殺せば平等だ。
不特定多数の親族がおじいちゃんを見捨てるなら、私はその全員を殺す方を選ぶよ。どっちかひとつなら、大切じゃない方を捨てる。それが当たり前だろ。

カルネアデスの板だ。

「何も出来ない」にあぐらかいてる、私が、溺れそうなおじいちゃんを、突き飛ばそうとしてる。
皆見てるのに、見ていて助けない。どっちも助けない。それが一番自分に害が無いってわかってるから、それを私にも押しつけてくる。見捨てられないなら、突き放せって、結局そういう状況になってる。

どうしたらいい?
おじいちゃんが一番しあわせなのは?
今のまんましかないのは知ってる。私が、私しかいないのに、私しかいないのに、病気とか、猫とか、ともだちとか、しごととか、そういうもっともらしい理由をいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい

私のせいだ。
おじいちゃんのこと、ずっといってるのに、ずっといってるのに、私が、突き飛ばそうとしてる。それが、すごく、個人的で身勝手で自分が可愛いだけの理由で、それで、それをわざわざ小難しい言葉やら何やらで正当化しまくって、「だから仕方なかったんだ」に落とし込もうとしてる。

私は、こんな私は、とても嫌い。大嫌い。何もできないどころか、考えれば考えるほど、わからなくなる。
おじいちゃんと東京で暮らすのも考えた。でもおじいちゃんはあそこで死にたいんだ。
親戚共は皆関わり合いたくない。下手に揉めて面倒事にしたがらない。それを恥だと思ってやがる。
全部諦めてるんじゃ無い。もう全部、見捨ててる。あれはもう諦めてんじゃない、あれはもう見捨ててる。

そこまでわかってて、または私は何もできてない。
また何もできてない。また何もできないまんな、もう二度と繰り返さないってあんなに強く思ったのに、あんなに強く思ったのに

私は自分が大嫌い

私は、私の大好きな、大切なおじいちゃんを、生殺しにしようとしてる。
ほんとはどうしてほしかった?
おじいちゃんに近い場所に住んでる味方がほしかった。でもそれが適わなかった。
私は私で、必要不可欠な車の免許さえ所持できない精神障害者。やくたたず。何もできない。
こんなに何かしたいのに、こんなに何もできない。こんなに何もできない。もしだれか、もしだれか一人でも手伝ってくれたら、あの馬鹿な伯父を半殺しにしてくれたら、

あのひとたちは、また、今度はおじいちゃんの葬式でも、お寿司やら仕出しやらを食べながらお酒のんで笑うの?
聞かなくても、そうでしょうね。むしろ、ほっとするんでしょうね。
呪ってやる。恨んでやる。私は私が大嫌い。何もできない、お金も無いし健康な身体もないし、発言力もない私が大嫌い。だから恨んでやる。呪ってやる。それしかできないからずっと呪ってやる。全員のろってやる。私は、私のだいじなおじいちゃんを、ほっぽいて、諦めて、何もしない、伯父を、諫めない親類を、みんな、ぜんいん、呪ってやる。伯父が末代なら、丁度良いでしょう。

このまともに動かない身体も、メンタルも、コミュ障も、いくら知識ばっか溜め込んでもなにひとつできない、なにひとつ「穏便に」できそうにない、私は、一番酷く、呪われるべきだ。

おじいちゃんのお葬式は、でたくない。
おじいちゃんに死んでほしくない。
あと、おじいちゃんが大切にしてた親戚とかを、私、殺したくない。

そうやって矛盾の中でずっとうずくまってる。何もできない私が、私は一番憎くて嫌い。

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